最後に、「本当はどうしたい?」と自分に聞いたのは、いつだったろう。
親の期待。職場の期待。先生の期待。世間の「普通」。
それに応える練習なら、子どもの頃から数えきれないほどしてきた。
なのに、自分の声を聴く練習だけ、ほとんどしてこなかった。
親が安心する進路を選ぶ。頼まれたら断らない。会議では本音を飲み込む。本当に欲しいものは、最初から欄外に置いておく。
そうやって「普通」から外れないように、歩幅をそろえて生きる。あなたはきっと、それがずっと上手だった。
先に言っておくけど、それは弱さじゃない。誰かの期待に応えたいという気持ちの根っこには、ちゃんと優しさがある。
応えたかったから、ここまで来た。守りたいものが、あなたにはあった。それは本当のこと。
でも、ふとした夜に、うまく説明できない違和感が顔を出す。湯船の中で、帰り道の電車で、ふいに。
——これは、誰の人生なんだろう、と。
「ちゃんとした人」ほど、自分の声が遠くなる
いい子でいる。
空気を読む。
失敗しない。
迷惑をかけない。
——気づけば、それ自体が人生の目的のような顔をして居座っていた。
世間では、期待に応えられる人ほど「ちゃんとした大人」と呼ばれる。評価され、頼られ、安心される。期待に応える力は、この社会でいちばん褒められやすい力。
でも僕は、この常識を疑っている。期待に応える力と、自分の人生を生きる力は、まったくの別物。応えるのが上手な人ほど、「相手がどう感じるか」がいつも先に立って、「自分はどう感じているか」を聴く力のほうが、少しずつ痩せていく。
しかも厄介なことに、期待は応えるほど増える。上手にこなせばこなすほど、周りは安心して、次の期待を載せてくる。「あなたなら大丈夫」「あなたに任せれば安心」。
昨日の頑張りが、明日の期待の前払いになっていく。
外から見れば、立派な人生。模範解答のような毎日。
ただ、ここで一度だけ、痛いことを言わせてほしい。その「応え続ける毎日」、あなたが少し肩の力を抜いたとしても、世界は案外、普通に回る。あなたが手を抜いた途端に壊れるものは、思っているより、ずっと少ない。
突き放したくて言うんじゃない。背負ってきた期待の何割かは、頼まれてもいないのに自分から背負いに行っていた。僕自身がそうだったから、これは言える。
期待の中には、誰かの想いも混ざっている
誤解しないでほしいのは、期待されること自体が悪いわけじゃない、ということ。期待をゼロにすることはできないし、ゼロにする必要もない。
親の「こうあってほしい」の奥に、不器用な心配が折りたたまれていることがある。
周りの期待の中に、あなたへの信頼が混ざっていることもある。「あなたならできる」という言葉が、祈りに近かった日もある。
問題は、期待が存在することじゃない。誰かの期待を、いつの間にか人生の「正解」に格上げしてしまうこと。
聞くのは参考まで。決めるのは自分。本当は、その順番でよかった。いつからか、逆になっていただけ。
期待を正解にした瞬間から、あなたの本音は、いつも採点される側に回される。
そしてその採点に、終わりはない。100点を取っても、次のテストが配られるだけ。
自分に戻ることは、裏切りじゃない
それでも、いざ自分の人生に戻ろうとすると、足がすくむ。
がっかりされるのが怖い。わがままだと言われるのが怖い。最悪、大事な人が離れていくのが怖い。
ここから少し、僕の話。
僕も長いあいだ、周りの目に縛られて生きてきた。「ちゃんとしなきゃ」「失望させちゃいけない」で予定と役割を埋めて、どうせやるなら完璧にと力んで、それでもまだ足りない気がして。一日の終わりに残っていたのは達成感じゃなくて、また今日も後回しにした、自分の声のほうだった。
そこから抜け出すのに、何年もかかった。正直に言えば、僕もまだ途中。今でもふとした瞬間に、人の顔色をうかがう癖が戻ってくる。
ひとつだけ、言い切れることがある。
自分の人生を生きることは、誰かを裏切ることじゃない。
我慢の上に積み上げた「いい関係」は、見えないところで利息がふくらんで、いつか必ずきしむ。飲み込んだ本音は消えずに、相手への小さな請求書に変わっていくから。
逆に、自分の本音を大切にできるようになった分だけ、人の本音にも、ちゃんと席を用意できるようになる。
あなたも、相手も、それぞれが自分の人生の主役。
その前提で結び直した関係のほうが、よほど強くて、よほど優しい。
全部捨てなくていい。まず、立ち止まる
RE:STARTは、「期待なんて全部捨てろ」とは言わない。
縁を切れとも、明日辞表を出せとも、家族と戦えとも言わない。
やることは、もっと静かなこと。
まず、立ち止まる。
そして、頭の中で鳴り続けている声を、一度ぜんぶ机の上に並べて、見つめ直してみる。
これは親の声。これは世間の声。これは「常識」の声。——じゃあ、自分の声はどれだろう。
誰の声か区別がつくようになるだけで、人生には「選び直す余白」が生まれる。応えるか、応えないか、半分だけ応えるか。それを自分で決められるようになる。
全か無かで考えなくていい。期待に応える日があってもいい。期待と本音、両方を手に持ったまま、その置き場所だけ、自分で決め直していけばいい。
今日、ひとつだけ自分に聞いてみる
いま応えようとしているその期待は、誰のものだろう。
本当は、どんな人生を選びたいんだろう。
今日、答えが出なくていい。誰かに宣言する必要も、決意表明もいらない。
ただ心の中で、「本当は、こうしたい」を一度だけ言葉にしてあげる。声に出さなくていい。紙に書かなくてもいい。小さすぎるくらいの一歩でいい。自分の声を聴き直す再出発は、いつもそんな一言から始まる。
誰かの期待に応えるだけの人生は、
もう、ここで終わらせていい。
急がなくていい。すぐ変われるなんて、僕は言わない。何年も染みついた生き方が、一晩でほどけるはずもない。
でも、自分の声をもう一度聴くと決めた日から、人生は静かに動き出す。——ここから、一緒に歩こう。
期待の声と、自分の声を、分けていく
自分の本音を聴き直したくなったら、無料講座「本音を取り戻す」へ。
7日間かけて、誰かの期待と自分の本音を、自分のペースで少しずつ分けていく時間です。
まず今の現在地から知りたい人は、人生の現在地診断へ。
どの場面で、誰の期待を生きてきたのか。今のあなたの輪郭が、静かに見えてくる入口です。