子どもの本来の姿を、
見るということ

正そうとする前に、
その子の本来の姿を、見ているか。
——親の正しさを、一度、横に置く。

この記事を読んでほしい人 子どもを正そうとして、苦しくなっている親

「どうして、できないの」
そう言ったあとの自分の声に、ふと、疲れていないだろうか。

ちゃんとさせなきゃ。
この子のためを思って言っているのに。
——なのに、家の中の空気が、どんどん固くなっていく。

その違和感は、あなたが冷たい親だからじゃない。むしろ、必死に「いい親」をやろうとしている証拠だ。だからこそ、ここで少しだけ立ち止まってほしい。あなたはいま、目の前の子そのものを見ているのか。それとも、頭の中の「こうあるべき子」を見ているのか。

「ちゃんと」のレンズ越しでは、その子は見えない

もっと、ちゃんとしてほしい。
もっと、頑張ってほしい。
まわりの子みたいに、できるようになってほしい。
傷つくくらいなら、失敗しないでほしい。

その願いは、わかる。僕にも子どもがいる。心配だから、ちゃんとしてほしくなる。先回りして、転ばせたくなくなる。その気持ちを否定する気はまったくない。

でも——正直に言う。
「ちゃんと」というレンズを通して見続けるほど、目の前のその子そのものは、だんだん見えなくなっていく。見えているのは、子ども本人ではなく、自分の理想と現実の「差」のほうだ。

差ばかり見ていると、人は無意識に、足りないところを数えはじめる。あなたの目は子どもを否定したいわけじゃない。ただ、レンズの色が濃すぎるだけだ。

「親の言うことを聞く子」が、いい子だとは限らない

世間では、親の言うことをよく聞く子が「いい子」とされる。
手がかからない子が、育てやすい子とされる。でも、本当にそうだろうか。あなたの理想に黙って従っているその子は、ただ、自分の声を引っ込めるのが上手くなっただけかもしれない。

子どもは、親を満足させるために生まれてきたわけじゃない。その子には、
その子の、感じ方がある。
その子の、ペースがある。
その子の、好きと得意がある。
あなたとは違う、その子だけの中身がある。

親の役割は、その中身を見つけて、外へ出してあげること。型にはめ込んで、はみ出した部分を削ることじゃない。

削られた子は、大人になっても自分の声がわからなくなる。「自分は何が好きだったんだろう」と、何十年も探すことになる——僕がいま向き合っている人たちの多くが、そうだ。連鎖は、確かにある。

見抜くことは、甘やかしでも、放置でもない

誤解しないでほしい。
その子を見るというのは、何でも言うことを聞くことでも、好き放題させて放っておくことでもない。甘やかしと、見つめることは、まるで違う。むしろ、見つめるほうがずっと手間がかかる。

その子が、
何に、目を輝かせるのか。
何を、こわがるのか。
どんなときに、時間を忘れるのか。
——何を、ゆずれないほど大切にしているのか。

そこを、ただ観察する。評価ではなく、観察。正解の枠に当てはめるのではなく、その子のかたちを、そのまま受け取る。

白状すると、僕もこれが下手だった。
周りの目や「ちゃんとした親に見られたい」が先に立って、子どもの顔より、世間体のほうを見ていた時期がある。完璧な親をやろうとするほど、目の前の小さな反応を見落としていた。僕もまだ途中だ。だから言える——「ちゃんとさせなきゃ」を一度、横に置く。それだけで、見える顔が変わる。

連鎖は、見つめた人の代で止まる

ここで、親を悪者にして終わらせたくない。
あなたを「こう育てた」あなたの親も、たぶん必死だった。その親もまた、自分の親に同じことをされてきた。誰も悪意でやっていない。ただ、見つめ方を教わらないまま、親になっただけだ。

でも、連鎖は、誰かが気づいた瞬間に止まる。
「自分はちゃんと見られなかった。だから、この子は見る」——そう決めた、その代で止まる。あなたがいまこの文章を読んでいることが、もう、止めにいっている証拠だ。

おもしろいのは、子どもの本来の姿を見ようとするほど、あなた自身の本音も浮かび上がってくることだ。
「自分も本当はこう生きたかった」「自分も、本当はこう見てほしかった」。子どもを通して、押し殺してきた自分の声に出会う人を、僕は何人も見てきた。

親が子を育てるだけの一方通行じゃない。子どもは、あなたが置いてきた自分に、もう一度会わせてくれる存在でもある。

あなたがいちばん直したい姿の、すぐ裏側

あなたが、いちばん直したいと思っている子どもの姿は何ですか?
その姿の、すぐ裏側にある「その子らしさ」は、何だと思いますか?

頑固さの裏には、芯の強さがある。
落ち着きのなさの裏には、好奇心がある。「直したい姿」と「らしさ」は、たいてい同じものの表と裏だ。今日は、直そうとする前に、その裏側を一度だけ見てみてほしい。子どもを責めずに、自分も責めずに、ただ。

子どもの本来の姿は、
親の正しさを、ほんの少しゆるめた隙間から見えてくる。

あなたの正しさを、捨てる必要はない。
正しさは、あなたが真剣に向き合ってきた証だ。ただ、それを絶対のものにするのを、ほんの少しだけゆるめる。今日いきなり名親になれなくていい。明日からその子のすべてが変わるわけでもない。それでも、レンズの色を一段うすくしたその目で、もう一度わが子の顔を見てほしい。あなたが見つめ直したぶん、その子は、自分の声を消さずに大きくなれる。それは、あなたの代から確かに変えられる、ひとつの未来だ。

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人生は、何度でも始め直せる。

読んで気づいたことを、自分の言葉にする場所があります。
誰かに相談する前に、まず自分の声を聴く。それだけでいい。