夜中の台所で、立ったまま水を飲む。
理由もわからないのに、ふっとため息が出る。
たぶん、たいしたことじゃない。
みんな、こんなもんだ。
——そう自分に言い聞かせて、また布団に戻る。
でも、その「なんか苦しい」は、
翌朝の通勤電車でも、ちゃんと隣に座っている。
消えたわけじゃない。ただ見ないふりをしているだけだ。
限界が近いのに、「自分が弱いだけ」と言い聞かせていないか。
しんどいのに、「もう少し頑張れば変わるはず」と、なんとか前を向こうとしていないか。
毎日をこなしている。
仕事もしている。
人にも合わせている。
ちゃんと生きている。
でも、心の奥ではずっと苦しい。
朝、目が覚めた瞬間から気が重い。
やることはこなせている。文句を言われることもない。
それなのに、どこかでずっとしんどい。
夜、何時間もスマホをスクロールしているのは、そのしんどさから目を逸らすためだ。
食べすぎてしまうのも、買い物が止まらないのも、気づいたら酒に手が伸びているのも、
全部、埋まらない何かを必死で埋めようとしている音だ。
僕にも、そういう時期があった。
朝起きてすぐLINEを開いて、「今日も一日なんとか耐えるか」とつぶやいて布団を出る。
苦しさをごまかすことだけは、誰よりもうまくなっていた。
ちゃんとしてる。でも苦しい。——これが、一番しんどい。
立ち止まることは、自分の人生を雑に扱わないための行為だ
「立ち止まること」を、逃げだと思っていないか。
僕もずっとそう信じていた。
「ここまで頑張ってきた自分」を裏切るのが怖くて、間違った方向だと薄々わかっていても止まれなかった。
止まっている暇があるなら動け、と自分を急かし続けていた。
——でも、その「当たり前」が、そもそも逆だった。
逃げというのは、見たくないものから目を背けることだ。
立ち止まって自分の現在地を見つめることは、その真逆。逃げずに向き合うことだ。
合わない方向へ全力で走り続けるほうが、よっぽど人生を雑に扱っている。
一度止まって「僕はどこへ向かっているのか」を確かめることは、
逃げじゃない。覚悟だ。
走り続けることが、正解なわけじゃない。
今、本当にその方向でいいのか。
能力不足でもない。弱いわけでもない。
苦しいのは、あなたが弱いからじゃない。
能力が足りないからでもない。
その苦しさは、今の生き方が本音とズレているサインだ。
今の働き方が、あなたに合っていない合図だ。
今いる場所が、本当のあなたを出せない場所になっている知らせだ。
ずっと違和感があったのに、「でも普通はこうだから」と飲み込んできた。
本当はやりたくないことを、「しょうがない」で続けてきた。
本当は好きじゃない相手に、愛想笑いを返し続けてきた。
その我慢の積み重ねが、いま「苦しさ」という形になって出ているだけだ。
苦しさは、欠陥じゃない。サインだ。
あなたの本音が、ここにいると教えている声だ。
無理に前へ進ませる場所ではない
RE:STARTは、「あなたはこれをやれ」「もっと行動しろ」とは言わない。
まず、立ち止まることから始める。
今のあなたの苦しさを、ちゃんと見つめる。
本音が何なのかを、整理する。
何に違和感があって、何を我慢してきたのかを、自分の言葉にする。
正直に言うと、僕自身もまだその途中にいる。立派に変わりきった人間として書いているわけじゃない。——だからこそ、急かす言葉じゃなく、隣で立ち止まる言葉を渡したい。
焦らなくていい。今すぐ答えを出さなくていい。
ただ、立ち止まって、自分の声を聴く。まずはそれだけでいい。
一つだけ、自分に聞いてみてほしい
本当は、何が一番苦しかった?
仕事か。
人間関係か。
将来が見えないことか。
自分が何者なのかわからないことか。
誰にも本音を言えないことか。
誰の顔色に合わせ続けてきたか。
何を、ずっと我慢してきたか。
今すぐ答えが出なくていい。うまく言葉にできなくていい。
でも一度だけ、誰に見せるでもなく、自分に聞いてみてほしい。
人生は、立ち止まった場所からでも
もう一度動き出せる。
失敗した場所からでも。逃げた場所からでも。
ずいぶん遠回りした、その先からでも。
すぐに変われるとは言わない。簡単だとも言わない。それでも、動き出せる。
立ち止まることは、終わりじゃない。止まったその場所こそが、新しい始まりだ。
今の自分の状態を、整理してみませんか
まず立ち止まってみたい方は、人生の現在地診断から始めてみてほしい。
何点だったか、どのカテゴリが高いか——そういう採点の話じゃない。
今のあなたの状態を、言葉として見つめ直すための入口だ。
一人では整理しきれない方は、個別相談へ。
まだうまくまとまっていなくて大丈夫。「苦しい」というその一言だけで、ここに来ていい理由になる。