僕は昔、夜中の二時にスマホを置けなかった。
動画を一本、もう一本。「明日やる」と決めたはずの作業は、机の上で手つかずのまま。
このままじゃまずいと頭ではわかっているのに、指は勝手に次の動画を探している。
そして画面を閉じたあとの暗い部屋で、決まって同じ言葉をつぶやく。「またやった」。
——それが、あの頃の僕の毎晩だった。
やってしまう。後悔する。自分を責める。責めた分だけ苦しくなって、その苦しさから逃げるように、また同じことをやる。そして翌朝、空っぽの電池で一日を始める。
この回転に、あなたも覚えがあるんじゃないかと思う。
だったら先に、この記事でいちばん伝えたいことを渡しておく。あなたを一番消耗させているのは、やってしまった行動そのものじゃない。
その後に必ず始まる、「責め」の時間のほう。行動は一瞬で終わるのに、責めは朝まで続くから。ここが見えるだけで、戦う場所が変わる。
ループには、決まった風景がある
SNSを閉じられない夜。
空腹でもないのに、何かを口に運び続けている手。
やるべきことを横目に見ながら、どうでもいいことに没頭している時間。
逃げている自覚は、ある。それでも、止まらない。
そして夜が深くなった頃、ツケを回収しに「自己嫌悪」がやってくる。
僕の場合は、動画と間食だった。考えることを手放したい夜ほど、画面と袋菓子に吸い込まれていった。別人みたいに、自分を止められなかった。
一日が溶けていくのを知りながら止められない時間と、「明日こそ変える」と言うたびに破られていく、自分との約束。
約束を破るたびに自分への信頼が目減りして、信頼が減るほど、自分と向き合うのが怖くなる。
怖くなった分だけ、新しい逃げ場が必要になる。逃げるほど責めは重くなり、責めが重いほど、また逃げたくなる。出口を探しているつもりで、奥へ奥へと潜っていく。
偉そうに書ける立場じゃない。僕は何年もこの回転の中にいた。
そして正直に言えば、いまも完全に降りられたわけじゃない。僕もまだ、途中。だからこれは先生の講義じゃなく、同じ道の少し先からの報告。
あなたを削っているのは、「責め」のほう
ここからは、寄り添う前に言い切る。
このループの本体は、「やってしまったこと」じゃない。
やってしまったのは、ただの事実。もう終わった出来事にすぎない。
その事実を夜通し裁き続ける「責め」こそが、明日のために残しておくはずだった体力まで、根こそぎ持っていく。
きつい言い方をする。あの夜の反省は、反省じゃない。
「ちゃんと落ち込んだから、今日はもう許される」——そうやって一日を閉じるための、儀式に近い。
責めてるんじゃない。
その儀式を誰より長く続けてきたのが僕だから、言っている。
責められた心は、罰ではなく安心を探す。叱られ続けた心が欲しがるのは説教の続きじゃなく、すぐそばにある休息。そして手近な安心は、いつもの快楽と相場が決まっている。
だからまた同じことを繰り返し、繰り返した自分を、またいつもの法廷に立たせる。判決はいつも同じ。「お前はダメだ」。
ループは外から閉じられているんじゃない。自分の「責め」が、内側から鍵をかけている。
反省と、向き合うことは違う
世間は言う。失敗したら反省しろ。自分に甘えるな。もっと厳しく、もっとストイックに。
夜にちゃんと落ち込めるのは、真面目に生きている証拠だと。
僕は、そう思わない。少なくともあの頃の僕に必要だったのは、反省じゃなかった。
責めることと、向き合うことは別物。
責めは「ダメな自分」に判決を下す時間で、向き合うことは「逃げたかった理由」を聴いてやる時間。
前者は体力を奪うだけで何も生まないが、後者はループの鍵を内側から開けていく。
だから、責める前に一度だけ立ち止まって、見る。裁判官としてじゃなく、聞き役として。
何から逃げたのか。何がそんなに苦しかったのか。本当は、何を感じたくなかったのか。答えはすぐに出なくていい。問いを向けること自体が、もう向き合いになっている。
見るべきは「ダメな自分」じゃなく、「逃げるしかなかった理由」のほう。理由が見えれば、手当ての仕方も見えてくる。
視点がそこへ移った瞬間から、ループは確実にゆるみ始める。
狙うのは、たった一回
いきなり完璧にやめようとしなくていい。むしろ「今日から一切やらない」という完璧主義こそ、破られた瞬間に責めへ直行する、このループの一番の燃料になる。
狙うのは、たった一回。
ループに入ってから抜け出そうとするんじゃなく、入口の手前で「あ、いま入りかけてる」と気づく。それだけでいい。
スマホに手が伸びる前に、ひと呼吸だけ置く。
何かを口に入れる前に、「本当にお腹が空いてる?」とひとこと聞いてみる。
逃げたくなった瞬間に、「いま、何が苦しい?」と自分に問いかけてみる。
——たった一回でも回転の外に立てると、ループの見え方そのものが変わる。回っている最中には見えなかったものが、外からは見える。
頑張って断ち切るんじゃない。気づける回数が少しずつ増えて、回転が少しずつ遅くなって、気づいたときには、ループの外で生きている。
入る直前、何を感じていたか
あなたはどんなとき、自己嫌悪のループに入りますか?
その直前、本当は、何を感じていましたか?
寂しさ。疲れ。プレッシャー。言えなかった本音。誰にも気づかれないまま続けてきた、報われない頑張り。
その「感じていたもの」に名前がつくだけで、入口の手前にブレーキが生まれる。責めるより先に、そこにいる自分の声を聴いてやってほしい。それが、立ち止まるということ。
抜け出す鍵は、根性じゃない。
責めるのをやめて、見ること。
明日もまた、やってしまう日はある。それでいい。人は、決めた日からきれいに変われるようにはできていない。
でも、一回ループの外に立てた日から——あなたはもう、始まっている。
責める代わりに、見る練習を
このループを一人で見つめてみたい方は、自分を認める無料講座へ。
7日間かけて、入口の手前に「気づき」のブレーキを置く練習をしていきます。
一人では抜け出しにくいと感じたら、個別相談という選択肢もあります。
ループの中身をひとつずつ分解しながら、あなたの入口とブレーキを一緒に探していきます。