最後に自分を後回しにしなかった日は、
いつだったろう。
誰かのために動いた一日の終わりに、
——なぜか、ぽつんと一人ぼっちな気がする。
優しさと、自己犠牲。形がよく似ているから、多くの人が混同したまま生きてきた。
——でも中身はまるで別物だ。優しさは人を温める。自己犠牲は、自分を冷やしていく。
相手の気持ちが、わかりすぎる
相手の気持ちが、手に取るようにわかる。
相手が傷つく前に、その痛みまで先に想像できてしまう。
だから、つい飲み込む。
——「自分さえ我慢すれば、丸くおさまる」と。
はっきり言う。それは優しさじゃない。自分の本音を毎回そこに差し出して、なかったことにしているだけだ。
——責めてるんじゃない。僕がずっと、そっち側だったから言ってる。
僕も長いあいだ、人の機嫌を読むのが得意だった。空気が下がる前に、自分の言いたいことを引っ込めた。その日はうまくいった気になる。でも夜になると、自分の声がどこにあるのか思い出せない。
——周りの目を優先しすぎて、自分の輪郭がだんだん薄くなっていった。
優しさは、本来、温かいものだ。なのに、苦しい。その違和感こそ、優しさの向き先がズレているサインだ。
外からの賞賛と、内側の孤独
周りからは、優しい人に見える。
気が利く人に見える。
いい人に見える。
——だから、たくさん褒められる。
世間は、自分を犠牲にする人を「美しい」と褒めたがる。我慢は美徳だと言う。でも、その称賛が、あなたを降りられない場所に縛りつける。——僕は、ここを疑っていいと思っている。すり減ることは、美しさじゃない。
現に、外で輝くほど、内側はしんとしていく。
——「結局、誰も自分のことは見てくれない」。そんな声が、心の奥でこだまする。
外の輝きと、内側の孤独。このギャップこそ、自己犠牲のいちばんつらいところだ。
——与えているのに、満たされない。それは、与える順番を間違えているからだ。
相手も、自分も、両方を大切にする
本当の優しさは、相手も、自分も、どちらも大切にする。
——片方を切り捨てて成り立つものは、優しさとは呼ばない。
自分を殺して相手を満たす。
——それは優しさの「形」をしているだけで、中身は自己犠牲だ。長く続けば、必ずどこかで歪む。
順番がある。まず自分を満たす。
そのあふれた分を、相手に渡す。
——そのときに初めて、優しさは循環する。枯れた井戸から、水は汲めない。
相手か、自分か。どちらかが欠けたままの優しさは、長くはもたない。これは断言する。
あなたの優しさを、否定しない
RE:STARTは、人に優しくできるあなたの力を、否定しない。
——相手の痛みがわかること。それは、誰にでも持てるものじゃない。
それは捨てるべき欠点じゃなくて、あなたの大切な才能だ。
ただ、その優しさで自分を壊してしまうなら、
向き合い方を変えるときだ。
——優しさをやめろ、という話じゃない。向ける先を、一つ増やすだけだ。
正直に言うと、僕もまだ途中にいる。今でも、つい人を優先してしまう日がある。
——だから完璧にやれと言うつもりはない。優しさは、捨てなくていい。ただ、その何分の一かを、自分にも向ける。それだけでいい。
その優しさは、自分を犠牲にしていないか
その優しさは、どこで自分を犠牲にしている?
——本当は、誰の前で、いちばん苦しくなる?
答えなくていい。ただ一度立ち止まって、心の奥で小さく鳴っている声に耳をすませてみてほしい。その「苦しくなる場所」を、自分の言葉でひとつ見つける。
——それが、優しさを本物に戻す、いちばん小さな最初の一歩だ。
優しさは、自分を消すことじゃない。
自分も含めて、大切にすること。
すぐには変わらない。長く続けた癖は、そう簡単にはほどけない。でも、自分の声を一つ拾い直すたびに、優しさは少しずつ循環をはじめる。
——あなたのその優しさを、ちゃんと、自分にも向けていい。
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