夜、台所に一人で立って、明日の弁当を詰めている。
本当は今日、言いたいことが一つあった。
でも飲み込んだ。「言わなければ、波風は立たない」——そう思って。
言いたかったことを飲み込んだのは、今日が初めてじゃない。昨日も、その前も、おそらく何年も前から、あなたはずっとそうしてきた。自分さえ我慢すれば、その場はおさまる。だから我慢した。それの、何が悪いんだろう。
先に言っておく。その生き方を、僕は責めない。
あなたには、そうするしかなかった事情が、きっとあったからだ。声を上げても届かない家。空気を読まなければ居場所がなくなる職場。我慢する以外の選択肢を、誰も教えてくれなかった時間。あなたが弱いから我慢したんじゃない。我慢する以外に、自分を守る方法がなかっただけだ。
ただ——その我慢が、もう「当たり前」になってしまっているなら。
ここで一度だけ、立ち止まる価値がある。なぜなら、慣れた我慢ほど、自分では見えなくなるからだ。
「嫌だ」と思うことすら、やめていく
この国では、我慢できる人が偉いことになっている。文句を言わず、波風を立てず、自分の感情を引っ込められる人が「大人」と呼ばれる。
でも、僕はそれを少し疑っている。感情を殺せることは、本当に成熟なんだろうか。それはただ、自分の声を黙らせることに慣れただけじゃないのか。
我慢の怖さは、痛みが続くことじゃない。慣れることだ。
最初は「嫌だ」と思っていたのに、だんだん思わなくなる。
「悲しい」も、「怒り」も、「本当はこうしたい」も、いちいち感じると苦しいから、感じること自体をやめていく。
そして——「これが普通」になる。我慢している自覚すら、消えていく。
ここまで来ると、苦しいことさえ見えなくなる。痛みのセンサーごと切ってしまったからだ。
気がついた時には、自分が今どこにいて、本当は何を感じているのか、わからなくなっている。これが、慣れた我慢のいちばん静かな代償だ。
飲み込んだ感情は、消えずに別の形で出てくる
ここからは、僕の話をする。僕も長いあいだ、周りの目に縛られて生きてきた人間だ。
嫌われたくない、迷惑をかけたくない、ちゃんとしていると思われたい。そう思って、言いたいことを飲み込んで、笑って、その場を整えてきた。今もその癖は完全には抜けていない。僕だって、まだ途中だ。
わかったのは、飲み込んだ感情は消えていない、ということだ。
理由もなく体がだるくなる。
何でもない一言に、必要以上にカッとなる。
好きだったことに、興味が湧かなくなる。
そして、どうでもいいタイミングで、思ってもみない相手に、ためてきたものが爆発する。
押し殺した感情は、どこにも行かない。行き場をなくして、体や言葉や表情に、形を変えてにじみ出てくるだけだ。
だから、はっきり言い切る。我慢を積み上げても、本当の「平穏」にはたどり着けない。
それは平穏じゃなくて、感情を麻痺させて手に入れた、仮の静けさでしかないからだ。
「自分さえ我慢すればいい」が、いちばん削っているもの
「自分さえ我慢すれば丸くおさまる」。一見、優しさのように聞こえるこの言葉は、本当はいちばん危ない。
その場は確かに守れる。守れるからこそ、何度でも繰り返してしまう。そして繰り返すたびに、守っているはずのあなた自身の人生が、少しずつ削れていく。
ここは、痛いかもしれないけれど言う。あなたが我慢で守ってきたのは、たいてい「その場の空気」だ。
そして引き換えに差し出してきたのは、あなたの時間、あなたの感情、あなたの一度きりの人生だ。割に合わないと、心のどこかでは気づいているはずだ。
責めたいんじゃない。僕がそうだったから言っている。自分の声を無視し続けるほど、本音はどんどん奥へ引っ込む。やがて本音は「そんなもの、最初からあったかどうか」もわからなくなる。
——そこまで行ってしまってからの再起動は、正直、時間がかかる。簡単じゃない。嘘はつかない。
でも、逆に言えばこうだ。まだ「我慢している」という自覚が残っているあなたは、まだ自分の声につながっている。
だから今、ここで一度だけ立ち止まる意味がある。間に合うから、立ち止まろうと言っている。
RE:STARTは、我慢してきたあなたを責めない
勘違いしないでほしい。RE:STARTは、「我慢なんてやめろ」「もっと自分を出せ」と急かす場所じゃない。
我慢してきたあなたを、責めることは絶対にしない。
その我慢には、必ず理由があった。
誰かを守るためだったり、自分を守るためだったり、あるいは、ただ生き延びるためだったり。理由のない我慢なんて、一つもない。だからまず、ここまで耐えてきた自分を、ねぎらっていい。
そのうえで、たった一つだけ、一緒に見つめ直したいことがある。
これからの人生も、同じ我慢を続けたままでいいのか。
それだけは、誰かに決められる前に、あなた自身に問い直してほしい。
やめろ、とは言わない。続けたいなら、続けていい。
大事なのは、流されて我慢し続けるんじゃなく、「自分で選び直す機会」を一度ちゃんと持つ、ということだ。
本当は、何が嫌だったんだろう
あなたがずっと我慢してきたことは、何だろう。
そして、本当は何が嫌だったんだろう。
この問いに、うまく答えなくていい。きれいな言葉にならなくていい。誰かに伝える必要も、まだない。
まずはあなた自身が、あなたの「嫌だった」を、最後まで聞いてあげる。それがRE:STARTの最初の一歩、「立ち止まって、自分の声を聴く」ということだ。
我慢に慣れすぎなくていい。
あなたの苦しさに、あなたが気づいていい。
今日この瞬間に、人生が変わるわけじゃない。我慢の癖は、そんなにすぐには抜けない。それでいい。
——でも、「本当は嫌だったんだ」と一つ気づけたなら、あなたはもう、自分の声に向き直り始めている。立ち止まって、その声を聴いて、ほんの小さな一歩でいいから動き出す。人生は、そこから何度でも始め直せる。僕も、あなたと同じ途中だ。一緒に、いこう。
その「当たり前」を、ここで一度ほどいていく
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誰にも見せられなかった我慢を、ようやく安心して話せる時間として使ってほしい。