「家族のため」は、美しい。
でも、美しい言葉ほど、静かに人を縛る。
気づかないうちに、あなた自身を。
仕事のため。子どものため。生活のため。その言葉はどれも本当で、どれも尊い。
ただ、その言葉を唱えるたびに、あなたの「したい」「好き」「疲れた」は、少しずつ棚の奥にしまわれてきた。しかも周りは、それを「いいお母さん」「立派なお父さん」と呼ぶから、誰も異変に気づかない。
この問いが刺さる人ほど、家族をちゃんと大切にしてきた人だと思う。
だから先に言っておく。責めるために書いてるんじゃない。僕自身が「のため」という言葉の中で自分を見失っていたから、書いている。
愛だから、止まれない
朝、家族の誰より早く起きる。
仕事へ行き、帰ってからも家事を回す。
子どもの行事と提出物を頭に入れ、夕飯を考えながら、家族の機嫌の波まで読む。
自分の予定だけは「落ち着いたら」と思っているうちに、先月も今月も、結局入らないまま流れていく。
そんな毎日を、もう何年続けている?
それは間違いなく、愛だ。
同時に、誰にも代わってもらえない責任でもある。だから「たまには休めば」と言われても、簡単に休めないことを、僕は知っている。代わりがいない場所で休むことは、時に、動き続けることより難しい。
ここで、愛と責任でぎっしり埋まったその予定表を、一度だけゆっくり眺めてみてほしい。
そこに一人だけ、どこにも載っていない人がいる。あなただ。
「何が好き?」に、答えられない
何が好きだったのか。
本当は何がしたかったのか。
いま何に疲れていて、何を我慢しているのか。
ふいに聞かれると、言葉に詰まる。聞いてきた相手が、自分自身でも。
子どもの好物なら即答できるのに、自分の好物が出てこない。「私は何でもいいよ」と言い続けているうちに、本当に何でもよくなってしまった。自分のためだけの買い物を最後にしたのがいつだったか、思い出せない。そんな瞬間に、心当たりはないか。
それでも「家族のためだから」と日々を回し続けると、
心の奥に、行き場のない感情が音もなく溜まっていく。
大切なはずの家族に、ふと苛立つ。「私はこんなにやってるのに」という言葉が、喉元まで上がってくる。言えないまま飲み込んで、また次の用事に向かう。
自分を犠牲にした分だけ、人は無意識に、家族へ見返りを求めてしまう。
苛立って、苛立った自分にまた落ち込む。でも、それはあなたの性格の問題じゃない。自分を空っぽにしたまま注ぎ続けた人に、必ず起きることだ。それほどまでに、あなたは長く、自分を後回しにしてきた。
「親は我慢して当たり前」を疑う
一つ、世間に深く根を張った常識を壊しておきたい。
「自分を犠牲にする親ほど立派だ」——あれは、嘘だ。
子どもは、親の我慢に感謝して育つわけじゃない。
親が自分を消す姿を毎日見て、「大事な人のためには、自分を消すものなんだ」と覚えていく。そしてその子も大人になった時、同じやり方で自分を犠牲にする。我慢は、感謝ではなく我慢を残す。
怖がらせたいわけじゃないし、今日までの我慢が無駄だったという話でもない。あなたのその年月は、間違いなく家族を支えてきた。ただ、この先もあなたが自分を消し続けることは、実は家族のためにすらなっていない——これだけは、はっきり言っておきたい。
家族を支えたいなら、なおさら、まず自分を満たしておく必要がある。
枯れた井戸からは、誰も水を汲めない。子どもが本当に見たいのは、完璧な生活ではなく、あなたが楽しそうにしている顔のほうだ。ご飯が一品減っても、家が少し散らかっても、あなたが笑っているほうが、家庭はずっと明るい。
連鎖は、自分の代で止められる
ここから少しだけ、僕の話をする。
僕は子どもの頃、親に気持ちを見てもらえた記憶があまりない。大人たちはいつも「家族のため」に必死で、その必死さの中に、僕の声の置き場所はなかった。「家のため」と言われれば、子どもは黙るしかない。さみしいと言える空気でも、なかった。
でも、今ならわかる。あの人たちは悪者だったわけじゃない。同じ言葉の中で、自分を失っていただけだった。
だから僕は、この連鎖を自分の代で止めると決めた。
RE:STARTが「まず親自身の本音に戻ろう」と言い続けているのは、それが理由だ。親を責めるためでも、あなたに反省を迫るためでもない。家族を大切にする人ほど、自分の声を大切にしていい。それは家族を後回しにすることではなく、家族に注ぐ水の源を守ることなんだ。
偉そうに語れる立場じゃない。僕もまだ途中で、完璧な親だとは到底言えない。今日も一日の終わりに、もっと優しくできたよなと反省する側の人間だ。
それでも、満たされた親と空っぽの親とでは、同じ「大丈夫だよ」の一言でも、子どもに届く温度がまるで違う。これだけは断言できる。
何を我慢して、何を取り戻したいか
あなたは今、家族のために何を我慢している?
本当は、自分のために何を取り戻したい?
その答えに、いいも悪いもない。「コーヒーを一人でゆっくり飲みたい」でも、「半日だけ本屋にいたい」でもいい。誰かに証明できる立派な夢である必要はない。
ただ、言葉にできたものから、人は自分の人生に戻り始める。紙の端でもスマホのメモでもいい。誰にも見せなくていいから、今夜、一行だけ書いてみてほしい。それが、あなたの再出発の最初の一行になる。
家族を愛することと、
自分を消すことは、別の話だ。
自分に戻ることは、わがままじゃない。家族を壊すことでもない。むしろ、あなたが取り戻したその声が、家族のいちばん深いところを支える土台になる。あなたが自分を生き始める姿は、子どもにとって何よりの教科書になる。
急がなくていい。今日、好きだったものを一つ思い出す——それくらい小さな一歩でいい。決めた瞬間から、人生はもう動き出している。
家族のためと、自分のため。その両方を生きる
自分の声を取り戻したくなったら、無料講座「本音を取り戻す」へ。
7日間かけて、「家族のため」にしてきたことと、自分が本当に望んでいることを、ゆっくり分けて見つめていく。
一人で言葉にするのが難しいなら、個別相談という入口もある。
家族の中で押し殺してきた本音を、誰にも気を使わずに話せる時間として使ってほしい。