比べるほど、自分が消える。
あの人は進んでいる。あの人は売れている。あの人は毎日が充実して見える。
それに比べて自分は——画面を閉じたあと、胸に残るのは焦りと、説明のつかない疲れだけ。
その正体を、あなたはまだちゃんと見ていない。
先に言っておく。これは説教じゃない。僕自身が、この比較の沼に何年も浸かっていた人間だから書いている。
ただ、ひとつだけ聞かせてほしい。
あの人のフィードを眺めるのと同じ熱量で、自分の人生を見つめた時間が、最近どれくらいあったか。
すぐに答えられないなら、スクロールの指を一度だけ止めて、ここから先を読んでみてほしい。この記事は、そのために書いた。
誰かの成功を眺めて、一日が終わっていく
朝、目が覚めて、まずスマホに手が伸びる。誰かの独立報告、誰かの結婚、誰かの「ご報告があります」。まだ布団から出てもいないのに、世界中の進捗だけが先に流れ込んでくる。一日の最初の感情が、自分のものじゃなくなっている。
同期の昇進。
同業者の売上報告。
同い年の、新しい挑戦。
本当は知らなくてもよかった情報が、いつの間にか自分を測る基準になっていく。何も奪われていないのに、何かを失った気分になる。
ここで、少し痛いことを言う。あなたは、あの人の人生に詳しすぎる。あの人の実績も、暮らしぶりも、言葉の癖まで知っている。なのに「で、あなたはどうしたいの」と聞かれた瞬間、言葉に詰まる。他人の人生の解像度ばかり上がって、自分の人生がぼやけていく。
責めてるんじゃない。僕がそうだったから言っている。
それに、比較が止まらないのはあなたの意志が弱いからでもない。一日に目に入る他人の数が、人間の心が処理できる量をとっくに超えている。この時代にスマホを持って、まったく比べずに生きられる人のほうが珍しい。
比べている間、自分の人生は留守になる
比較している時、あなたの目はどこを向いているか。
他人のゴール。他人のスピード。他人の正解。全部、外側。その間、自分の内側は誰にも見られないまま、ただ放置されている。
本当に怖いのは、落ち込むことじゃない。
判断の基準が、少しずつ他人に乗っ取られていくこと。
「やりたいか」より「見劣りしないか」で物事を選び始めること。
そうやって手に入れたものは、手にした瞬間に色褪せる。欲しかったのは自分の人生であって、他人からの合格点じゃなかったはずなのに。
努力が報われるなら、まだいい。でも、他人の地図の上でどれだけ走っても——たどり着くのは、他人の目的地。
その距離は、あなたの人生の前進にならない。
自分の声は、大きな音じゃない。
他人の歓声を浴び続けた耳には聴こえなくなるくらい、小さくて静かな音。比べる時間が一日また一日と長くなるほど、その声は確実に遠ざかっていく。
「比べるな」という正論が、一番効かない
世間はよく言う。「人と比べるのをやめましょう」「あなたはあなたのままでいい」。僕は、この正論をあまり信用していない。比べるなと言われて比べずにいられるなら、誰もこんなに苦しんでいない。比較は、意志で消せる感情じゃない。消そうとするほど、消せない自分をまた責める。それこそ、一番苦しい悪循環になる。
だから僕は、消すんじゃなくて、読むことを勧めたい。
焦りの奥には、置いていかれることへの怖さがある。
悔しさの奥には、本当はやりたいことが眠っている。
嫉妬の奥には、「自分にもできるはずだ」という感覚が隠れている。
羨ましさは、あなたの本音が漏れた音。
人は、どうでもいいものに嫉妬できない。
つまり、比べて苦しくなるのは、心がまだ何かを諦めていない証拠。本当に諦めきった人は、他人の成功を見ても、もう何も感じない。あなたの胸がざわつくのは、まだ終わっていないから。
だから、比べてしまう自分を責めるのは、今日でやめていい。
その痛みは、消すものじゃなくて、読むもの。あなた宛てに届いた、本音からの手紙のようなもの。
羨ましさは、行き先を知っている
ここから、僕の話をする。RE:STARTを形にするまでの間、同じ時期に動き出した人たちの実績報告が流れてくるたび、僕は固まっていた。
もっと実績を作ってから。もっと完璧に整えてから。そう言い訳しながら何も出せず、下書きばかりが増えて、日々だけが過ぎていった。
変わり始めたのは、比較をやめられた日じゃない。自分の羨ましさを、初めてちゃんと読んだ日。
僕が羨ましかったのは、あの人たちの数字じゃなかった。自分の言葉で、自分の人生を生きている姿のほうだった。そこに気づいた瞬間、自分のやることは嫌になるほど明確になった。
RE:STARTが比較を「悪」と呼ばないのは、これが理由。
比較で苦しくなった時こそ、自分の現在地に戻るタイミング。何が羨ましいのかを掘っていけば、自分がどこへ向かいたいのかが浮かび上がってくる。羨ましさは、ただの毒じゃない。読み方さえ知っていれば、行き先を指すコンパスに変わる。
正直に言うと、僕も今でも揺れる日がある。比較を完全に卒業した人間として書いてはいない。僕もまだ途中。
それでも、羨ましさを読む癖がついてからは、人生の主語が確実に自分へ戻ってきた。
今夜、三つだけ問いを置いていく
誰を見ると、心がざわつくか。
その人の、何がいちばん羨ましいのか。
その羨ましさの奥で、あなたは本当はどう生きたいのか。
紙でも、スマホのメモ帳でもいい。一つ目で止まってもいい。三つ目まで掘れた時、比較はもう、あなたを削るだけの刃物じゃなくなっている。
立ち止まる。自分の声を聴く。それから、小さくでいいから動き出す。大きな決断も、劇的な変化もいらない。順番は、これだけでいい。
他人の人生に詳しくなるほど、
人は、自分の人生から遠ざかる。
焦らなくていい。何年も染みついた癖が、記事をひとつ読んだ今夜だけで消えるとは言わない。
——それでも、画面を閉じて自分に問いかけたこの数分は、間違いなくあなたの人生の時間。その積み重ねの先でしか、人生は自分のものに戻らない。
他人の地図を閉じて、自分の地図を開く
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削れてしまった自分との関係を、静かに整え直す入口になる。